Foothills Medical Center, Canada, 2017/7/24-9/1 中山 雄平先生 (近森病院)

2017年9月4日から10月14までの6週間、カナダのアルバータ州カルガリーにあるフットヒルズ・メディカルセンターで研修しましたので報告させていただきます。

アルバータ州最大の都市カルガリーは人口100万人程度で、1988年に冬季オリンピック(映画クールランニングで有名)が開催された都市でもあります。ロッキー山脈の東側に位置しており、北緯51度と北海道よりも少し緯度が高く(北海道最北端が北緯43度)、ウィンタースポーツが盛んなところです。9月中旬に氷点下まで気温が下がることもあり、数日積雪もありました。150㎞程度離れたバンフにはカナダで最初に作られた国立自然公園があり、観光地としてポピュラーなのでご存知の方もいらっしゃるかと思います。とても治安が良いことで有名ですが、滞在中は1件だけ発砲事件がありました。カルガリーでは珍しいとのことでした。

病院自体は、ダウンタウンからは離れた場所にあり、また専用宿舎などは無く、当初滞在に関しては病院から歩いて15分程度にある普通のホテルを薦められましたが、6週間の宿泊費があまりにも高額になるために、勇気を出して最近流行りのAirbnbに滞在することにしました。家主とたまたま研修に来ていたトラウマ外科レジデントと3人で家をシェアしての共同生活となりました。病院から歩いて10分程度のところでしたが、近所にスーパーやショッピングセンターが無く、幸い家主が自転車をタダで貸してくれたため、それに乗って何とか買い出しに行って食料の調達などを行いました。24時間運航している市内のバスはありますが、基本的には車社会で自家用車がないと生活が難しいという印象です。Car2goなどの都市型乗り捨てレンタカー等の情報を現地で仕入れましたが、書類等の手続きが面倒なので、滞在中はバス、タクシー、借りた自転車を利用して主に移動しておりました。

所属したオルソトラウマチームは、Richard Buckley教授を筆頭に6人のスタッフ、3人のフェロー、4人のレジデントで構成されていました。業務内容としては、四肢・骨盤外傷(主に骨折)の手術がメインで、待機的な手術を行う整形外科チーム、脊椎疾患・外傷のすべてを扱う脊椎チーム、手関節以遠をすべて担うハンド&リストチームからは完全に独立していました。また、小児外傷は少し離れたとこにあるAlberta Children’s Hospitalにすべて搬送されるため、全く触れる機会はありませんでした。 (写真 Buckley教授と筆者)

救急搬送される外傷患者は、最初にER医師もしくはジェネラルトラウマチーム(トラウマ外科医)が初期対応をして、そこから四肢外傷に関して整形外科にコンサルトが来るというシステムでした。多発外傷患者が入院になった場合は、ジェネラルトラウマチームが主治医となり、オルソトラウマチームは四肢・骨盤の手術だけを担当していました。また、多発外傷の脊椎・脊髄損傷合併症例なども、まずは脊椎チームが先に手術して、後日オルソトラウマチームにコンサルトが来て四肢の手術をしたり、重度軟部組織外傷、切断肢・再接着、皮弁、植皮などはすべて形成外科が行っているなど、高度に分業化が進んでいて、オルソトラウマチームはコンサルトされる四肢・骨盤の手術だけをしていれば良いという環境でした。

朝のカンファレンスは、まだ朝日が昇る前の朝6:30から始まります(休日、祭日は7:00)。前日当直していたレジデントが新入院のプレゼンテーションをするのですが、多い日には10人弱の新入院患者の詳細なプレゼンテーションを行い、それに対してスタッフ医師が次々と質問を投げかけます。この口頭試問のようなやり取りがとても教育的であり、スタッフ医師にしてもレジデントにしても、こちらが恥ずかしくなるくらいの知識の量に驚かされました。
カンファレンスが終わると、手術室の看護師とその日の責任スタッフ医師が相談して、手術の順番を決定します。前日入院の緊急症例があると、入れ替わったり、予定されていた手術がキャンセルされたりします。夕方5時くらいになると、その日に入らなかった手術は翌日へ持ち越されます。朝からわざわざ禁食で来ていた鎖骨骨折の患者さんが、夕方近くまで待っていたのに、普通に帰宅させられたりしていたのが印象的でした。また、開放骨折に関しても、gradeの低いものは夜間の緊急手術とせず、翌朝に手術を行うシステムになっていました。
カンファレンスにはリサーチアシスタントが同席しており、新入院患者で臨床研究のRCTに組み込めそうな場合には、ICや書類の記入などを行って、術式もそれに伴い変更されるなど、常に複数のRCTが進行している状況でした。Buckley教授も常に“RCTが一番だ”と口癖のようにカンファレンスで仰っていました。 (写真 カンファレンスの様子)

オルソトラウマチームは手術室の一部屋を専用手術室として割り当てられており、土・日・祝日関係なく、毎日朝から夕方までその1つの部屋で手術を行います。そのため、患者さんの入れ替えに毎回1時間程度かかってしまい、効率が余り良くないと感じました。 また、今回はオフィシャルにはobserverが条件だったので、基本的には手洗いができないのですが、1人のスタッフが手洗いを許可してくれたので、その先生の曜日には毎回手洗いで入らせていただきました。それ以外のスタッフの手術の時は、スタッフ、サージカルアシスタント、フェロー1〜2人、レジデント1〜2人、学生と多いときは5〜6人で手術をしており、入る隙間もありませんでしたので、外からの手術の見学に徹して写真を撮ったりしていました。

症例に関しては、単純な手関節、足関節、大腿骨頚部骨折などのコモンフラクチャーから、難易度の高い開放性ピロン、プラトー骨折、肩甲骨骨折、距骨脱臼粉砕骨折、多発外傷に伴う骨盤輪・寛骨臼骨折、カナダでは珍しい銃創、Buckley先生の造詣の深い踵骨骨折まで、かなりバラエティーに富んだ内容でした。手術に関していうと、技術的には今まで慣れ親しんだ日本の技術と大差はないのですが、足関節周りにミニのプレートを複数個用いて骨接合を行うテクニックは目新しく、今後取り入れていきたいと思いました。すべてのプレートやネイル、bone substitute等が潤沢に常備されており、さすがレベル1トラウマセンターだと感動しました。その一方で、あまり入念な術前計画はなされずに、とりあえずプレートやネジを当ててみて入れてみて、ダメなら抜いてと繰り返している時もあり、術前計画の重要さを再確認しました。全般的には手術時間の短縮に全力を注いでいること、無駄な被爆をしないように・させないようにしていました。術中も無駄に透視をみるなとスタッフドクターが言っていたことが今でも頭にのこっています。(Use your brain, not the fluoro!!) (写真 潤沢なインプラントと珍しい骨充填剤)

最後の週はバンクーバーで行われた2017 OTAカンファレンスに参加させていただきました。Buckley教授も発表されており、また日本からも骨折治療学会国際委員の先生方が多数参加されておりました。著名な先生方の興味深い発表ばかりであり、大変勉強になりました。

振り返ると6週間はあっという間でした。当初手洗いができないことや、医学用語以外の速い英語のコミュニケーションが取りにくかったこともありフラストレイションもたまりましたが、最終的には多様な外傷症例を見ることができ、フェローやスタッフとも気軽にディスカッションすることで充実した時間を過ごせました。また、スタッフの多くはトラウマだけではなく人工関節にも精通しており、実際に骨質不良患者の寛骨臼骨折に対して一期的セメントTHAを行っていたのを見て、今後の自分の外傷整形外科医としての人生を考える上でも、トラウマ+αが必要と実感しました。
そして最も印象的だったのが、手術室では術中に声を荒げる医者がほぼおらず(1人だけいましたが、その人は自分に怒っていました)、皆フレンドリーに多職種や他人をリスペクトし、和気藹々とプロフェッショナルな仕事をしていることでした。さすがは移民国家カナダであると感激しました。その姿を見て、私ももっと他人に対して親切に優しく接しようと改心しました。また、カナダの人々は仕事よりも家族やプライベートで過ごす時間をとても大事にしており、大変難しいとは思いますが、その様なメンタリティやシステムも今後日本の職場にぜひ取り入れていきたいと思います。最後に、初めて訪れたカナダの自然は雄大で美しく、出会った人々は皆本当に親切な人が多くて、すっかりカナダ(カルガリー)の虜になりました。次回は個人的に家族で再び訪れたいと思っております。

このような人生観を変える貴重な経験をさせていただいたAO Trauma Japanの理事澤口先生、AO諸先生方、また帝京大学病院長坂本教授、外傷センター新藤教授、整形外科河野教授、留学手続きでご迷惑をおかけした帝京大学人事課中村さん、整形外科秘書池脇さん、高橋さん、加藤さん、不在中にご迷惑をおかけした外傷センターの皆様及び医局員の皆様、週末観光に連れてってくれた家主のロッドさん、家で待ってくれていた妻、子供達にこの場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。